神田明神に響く「木遣り」・・・

 

千代田区外神田の「神田明神」にお参りに伺いました・・・

住所は 千代田区外神田2−16−2、JR中央線・総武線・東京メトロ丸ノ内線「御茶ノ水」駅(聖橋口) 東京メトロ千代田線「新御茶ノ水」駅(聖橋口) 東京メトロ銀座線「末広町」駅より徒歩5分、JR京浜東北線・山手線「秋葉原」駅(電気街口) 東京メトロ日比谷線「秋葉原」駅より徒歩7分です・・・駐車場は、周囲に有料駐車場があります・・・

正式名称は「神田神社」、東京都心(神田・日本橋・秋葉原・大手・丸の内)の氏神様です・・・神田・日本橋が江戸東京の食を支える青果市場・魚市場の発祥の地でしたので、神田明神の境内に各市場の守護神として江戸神社・魚河岸水神社も祀られています・・・

 

 

こちらは、本日14:30頃・・・御社殿の前に整列された鳶の方々の雄姿です・・・

昭和9年(1934年)に竣工された権現造の「御社殿」は、当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の社殿で、本殿・幣殿・拝殿・宝庫が重なるように造られています・・・拝殿の手前を土間にして、その先を畳敷きの床にする事によって参拝者が靴を履いたまま立って礼拝出来る構造は、当時は斬新な考え方だったのではないかと・・・

 

御朱印を拝受する為に、神札授与所がある「鳳凰殿」に伺った所、御社殿から木遣りと思しき勇壮な声が響き渡り・・・その後、家族で参拝をしていると・・・御社殿の中に、鳶の方々の火消半纏の後ろ姿が立ち並んでおりました・・・その後、鳶の方々(詳細は存じ上げませんが、江戸町火消の方々でも正しいかと・・・)が御社殿前に勢揃い!

 

その後ろには、様々な纏(まとい)が立ち並び・・・いやぁ、粋ではございませんか・・・鳶の方々は記念写真を撮影する為に整列なさったのですが、これを見逃す手は無い!・・・記念写真を撮影する方の真後ろにお邪魔して、思わずシャッターを・・・私以外にも、大勢の方々がカメラやスマホを手にして・・・いやぁ、思わず興奮してしまいました・・・

 

ブログに顔を載せるのは失礼ですが・・・でも、あまりにも素敵で・・・ご勘弁を・・・


神田明神の「夏越大祓」(なごしおおはらえ)・・・


千代田区外神田の「神田明神」にお参りに伺いました・・・

住所は 千代田区外神田2−16−2、JR中央線・総武線・東京メトロ丸ノ内線「御茶ノ水」駅(聖橋口) 東京メトロ千代田線「新御茶ノ水」駅(聖橋口) 東京メトロ銀座線「末広町」駅より徒歩5分、JR京浜東北線・山手線「秋葉原」駅(電気街口) 東京メトロ日比谷線「秋葉原」駅より徒歩7分の場所です・・・駐車場は、徒歩約5分の場所に有料駐車場があります・・・

正式名称は「神田神社」、東京都心(神田・日本橋・秋葉原・大手・丸の内)の氏神様です・・・神田・日本橋が江戸東京の食を支える青果市場・魚市場の発祥の地であったので、神田明神の境内に各市場の守護神として江戸神社・魚河岸水神社も祀られています・・・



こちらは、神田明神「隨神門」です・・・

総檜造りの入母屋造で、外側左右に隨神像を奉安した二層建ての「隨神門」は、昭和50年(1975年)昭和天皇御即位50年の記念事業として新たに再建された建物だそうです・・・

屋根は銅板瓦棒葺・・・外回りには四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)、内側には「因幡の白兎」等、大黒様の神話に縁のある彫刻が飾られていて、内側には神馬が奉安されています・・・



そして、こちらが神田明神「御社殿」です・・・

昭和9年(1934年)に竣工された権現造の「御社殿」は、当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の社殿で、本殿・幣殿・拝殿・宝庫が重なるように造られています・・・

拝殿の手前を土間にして、その先を畳敷きの床にする事によって参拝者が靴を履いたまま立って礼拝出来るといった構造は、当時はかなり斬新な考え方だったのではないかと・・・

ちなみに今日は、夏越大祓(なごしおおはらえ)と呼ばれる、罪や穢れを人形(ひとがた)に託して身体を清め、心新たに生活を営むべく大きな力を得るという行事が執り行われる日でした・・・私たちは、今日がその様な大切な日だったとは知らずに、こちらに伺った次第で・・・

そして、これも偶然ですが・・・昨日までは私事の予定があり、本来ならば今日はこちらに伺う予定は無かったのですが・・・それが急遽取り止めになり、こうして家族で伺う事になり・・・

私が以前勤務していた場所の近くには「将門神社」があり、更にその近くには「将門の井戸」もありました・・・上手く表現する事が出来ませんが、何だか「縁」の様なものを感じます・・・

では・・・大祓初穂料をお納めして・・・人形に家族一人一人の氏名・年齢を記入し、身体の左右中央や具合の悪い箇所を撫で、息を三度吹きかけて・・・人形を明神様に託します・・・



こちらは、夏越大祓の初穂料をお納めした際に頂戴した「大祓神札」「手拭い」です・・・

頂戴した手拭いのデザインは、神田祭山車づくしシリーズ 二十一番山車「飛騨匠」(ひだたくみ)・・・竪大工町により出された飛騨匠棟上げ人形の山車が描かれている手拭いです・・・

飛騨匠は飛鳥・奈良時代に平城京や東大寺等を造営して功績を残し、その後も約5万人もの匠を都へ送り出し、腕を磨いた匠たちが飛騨に戻り、素晴らしい伝統工芸を齎したとか・・・

罪や穢れを人形に託し、心新たに生活を始めるエネルギーを有り難く頂戴しました・・・

靖国神社の「桜の標本木」・・・



こちらは、千代田区九段北の靖国神社にある「桜の標本木」です・・・

各気象台の敷地等にある「桜の標本木」は、開花の判断の基準となる木で、5〜6輪が咲いた状態が「開花」で、8割以上開いた状態が「満開」だそうです・・・ちなみに、以前行なわれていた「桜の開花予想」は、平成21年(2009年)を最後に発表を止めたそうです・・・

東京管区気象台が指定したという、この桜の標本木・・・さすがに、もう殆どが葉桜ではありましたが・・・桜の花びらが風に舞い散る様は、これまた別の風情が感じられて・・・

ここで観る桜の花は・・・美しさ故の悲しさの様なものが感じられ・・・

千鳥ヶ渕の「染井吉野」・・・その1



千代田区九段南の「千鳥ヶ渕緑道」に、染井吉野の観桜にお邪魔しました・・・

千鳥ヶ渕の桜は、その大部分が「染井吉野」で、古くは明治14年(1881年)に英国大使館
前に植樹された記録があるそうで、現存する最も古い染井吉野は昭和5年(1930年)に植えられたもので、多くは昭和30年代に戦後の復興気運を背景に植樹されたそうです・・・

そして「千鳥ヶ渕緑道」は、昭和40年(1965年)に開通した道路を、昭和54年(1979年)に歩行者を優先した緑道として整備したもので、平成21年(2009年)に桜の植栽余地を確保すると共に、一年を通して自然に親しめる四季の道として再整備されたそうです・・・

今年の桜は、長びいた寒さの影響で全国的に遅めの開花だった様ですが、それでも4月中旬ともなれば、ここ千鳥ヶ渕の桜も例外ではなく・・・殆どの桜が葉桜になりつつあり・・・

でも・・・温かい春の日差しを浴びながらのボート漕ぎは、なかなか爽快でした・・・


また来年も・・・こうして家族で遊びに来る事が出来るといいね・・・

善養寺の「影向の松」(ようごうのまつ)・・・


江戸川区東小岩の「善養寺」(ぜんようじ)にお邪魔しました・・・

江戸川区教育委員会の説明によると・・・真言宗豊山派の「善養寺」は星住山地蔵院と号し、大永7年(1527年)に山城(京都)醍醐山の頼澄法印が霊夢のお告げにより小岩の地を訪れ、堂宇を建立したのが始まりだそうです・・・が、永正6年(1509年)の文献に当寺の記事があるので、寺の草創は寺伝よりも古いのではと考えられているそうです・・・そして慶安元年(1648年)には徳川家から寺領十石の御朱印を受け、本尊や地蔵菩薩は江戸時代の作・・・境内には不動堂があるので「小岩不動尊」とも呼ばれているそうです・・・

こちらには、大正15年に「東京都指定天然記念物」に指定された老松があります・・・



こちらが、善養寺「影向の松」(ようごうのまつ)・・・松の種類は「黒松」です・・・

樹齢はおよそ600年・・・繁茂面積では「日本一」であろうと云われている松です・・・



「影向」(ようごう)とは、「神仏が仮の姿をとって現れること」を意味するそうです・・・

延享2年(1745年)に書かれた「星住山星精舎利記」には、当時既に境内七尋五条の老松であったと記されているそうです・・・東西30m、南北28m、繁茂面積900屐複横沓可據法ΑΑΔ翰の通り・・・見事なまでの存在感を湛えた、堂々たる「老松」です・・・

樹高平均は「3m」・・・根周は「4.5m」・・・そして、幹を支える支柱の数が「82本」というのですから、その枝ぶりの見事さは、どうにか皆様にもお分かり頂けるのではないかと・・・

かの文豪、大町桂月の紀行文「東京遊行記」には・・・『立てる星降りの松に、坐れる影向の松を加へて、東京附近松の奇観は、この寺に尽きたり』・・・と記されているそうです・・・


私が小さな子供の頃は、3月下旬にこちらで開かれている「植木市」に祖父に連れられてよく出かけました・・・そして、駄菓子やオモチャを買って貰ったっけ・・・懐かしいなぁ・・・


そして、時は過ぎ・・・人は、決して逃れる事の出来ぬ「別離」と幾度も向き合い・・・

そうして・・・いつか自分も、その別れの「主人公」となる日が来るのでしょうか・・・


まぁ・・・800歳以上の貴方から見れば・・・50歳にも満たないワタクシなんぞは・・・まだハイハイする事もままならない「赤子」も同然なのでしょうが・・・


では、お言葉に甘えて・・・大先輩にはもう少し、私の行く末を見守って頂きましょう・・・


回向院(えこういん)の「鼠小僧次郎吉の墓」・・・


墨田区両国の「回向院」(えこういん)にお邪魔しました・・・

住所は 墨田区両国2−8−10、JR総武線「両国」駅より徒歩5〜6分の場所です・・・

正称は「諸宗山無縁寺回向院」で、「振袖火事」とも呼ばれる明暦3年(1657年)の「明暦の大火」の焼死者10万8千人を幕府の命によって万人塚として葬ったのが始まりで、宗派に関係なく横死者の無縁仏も埋葬するそうです・・・また、動物すべての生あるものを供養するという理念から、ペットの墓も数多くあるそうです・・・天明元年(1781年)以降は境内で勧進相撲の興行があり、これが今日の大相撲の起源になったと云われています・・・

では・・・今日は、受験生にとっては大変有り難い、有名な「義賊」のお墓へお参りを・・・


こちらは、回向院の境内にある「鼠小僧次郎吉」のお墓です・・・

皆様もよくご存知の「鼠小僧」・・・寛政〜天保の改革の「化政期」に、主に大名屋敷を狙った天下の大泥棒で、「金に困った貧しい者に、悪徳商家達から盗んだ金銭を分け与える」といった義賊伝説が広まり、その影響でしょうか、歌舞伎等の様々な場面に登場します・・・

こちらには、お墓の前に「お前立ち」という一抱えほどの石柱があります・・・こちらの写真ですと、墓石の手前向かって右側です・・・周囲には、刷毛や小さな石等が置いてあります・・・

はたして、その小石で何をするのか・・・それは「石を削る」ためです・・・いったい、なぜ?



このように・・・小さな石で石柱を削り、それを持って帰るのです・・・でも、どんな理由で?

実はこの鼠小僧、皆様もよくご存知の通り、「長い間、捕まらなかった」訳で・・・それがいつの間にか、鼠小僧の墓石をかけらを持ち帰ると「賭け事に勝つ」とか・・・「運がつく」とか・・・それが受験生の間で「するりと(大名屋敷→志望校)に入る」という事になったようで・・・

それで、墓石を削られたのでは・・・との理由で「お前立ち」を設けたのではないかと・・・


寒い日が続きますが・・・受験生の方々は、どうぞ体調管理に気をつけて・・・頑張って!


「銀座の恋」・・・その2



おや・・・中央区銀座の「天賞堂」の建物の角に、愛の矢を番えた「キューピッド」が・・・

このキューピッドは、天賞堂とご縁の深い彫刻家、山田朝彦氏の作品だそうです・・・


平成9年(1997年)、天賞堂がリニューアルオープンした時からここにいるとか・・・

そして、道を歩いてくるカップルのハートへ、愛の矢を放とうと狙っているそうで・・・


流石、恋の町「銀座」ですね・・・そういえば昔、私もカミさんとこの前を通って・・・

(カミさんは「もう一度違う人を連れて来るから、やり直して!」と言うかも・・・泣) 


♪ 「愛」という字は真心で、「恋」という字にゃ下心・・・って、サザンの唄にあったっけ・・・

善養寺の「新四国遍路道」・・・


江戸川区東小岩の「善養寺」(ぜんようじ)にお邪魔しました・・・

江戸川区教育委員会の説明によると・・・真言宗豊山派の「善養寺」は星住山地蔵院と号し、大永7年(1527年)に山城(京都)醍醐山の頼澄法印が霊夢のお告げにより小岩の地を訪れ、堂宇を建立したのが始まりだそうです・・・が、永正6年(1509年)の文献に当寺の記事があるので、寺の草創は寺伝よりも古いのではと考えられているそうです・・・そして慶安元年(1648年)には徳川家から寺領十石の御朱印を受け、本尊や地蔵菩薩は江戸時代の作・・・境内には不動堂があるので「小岩不動尊」とも呼ばれているそうです・・・

今はありませんが、お寺の門前に父と母が住んでいたアパートがありました・・・

では、今日は・・・境内の片隅にある「四国八十八ヶ所霊場」のご紹介を・・・



こちらが、その「新四国遍路道」の看板・・・大正時代に作られたそうです・・・

実は、こちらのお寺には子供の頃から何度も訪れているのですが・・・知らなかった・・・



こちらが、「新四国遍路道」の入口です・・・木々が生茂っています・・・

中央の敷石の上を踏み、左右の祠を参拝しながら、この細い道を進むようです・・・



石の祠はかなりの数・・・丁寧にお参りしていると、かなりの時間が・・・

ここまで来て、やっと半分です・・・通路の長さは、30mくらい・・・いや、もっと長いか・・・



まぁ・・・四国八十八ヶ所を、お遍路で廻る方々のご苦労に比べれば・・・

でも・・・様々なご事情で、それが叶わない方にとっては大変に有り難いものかと・・・



私も・・・じっくりと時間をかけてお参りする事は出来ませんでした・・・

でも・・・お参りを終えて・・・なんだか、少し清々しい気分になったような気が・・・



昨年は、色々な「迷い」があったので・・・祖父母が私を呼んだのかしら・・・?



そういえば・・・今年の「お墓参り」、まだ済ませていなかったっけ・・・

 

東小岩の「萬福寺」・・・



江戸川区東小岩の「萬福寺」にお邪魔しました・・・

江戸川区教育委員会の説明によると・・・真言宗豊山派の「萬福寺」は五社山明寿院と号し、天文5年(1536年)に宥唯上人(ゆういしょうにん)が開山したそうです・・・明治15年(1882年)には区内で2番目の公立小学校「明物小学校」(現在の小岩小学校の前身)が本堂を借りて開校したので、区登録史跡となっているそうです・・・

そしてこちらは、小岩生まれで「近代相撲の開祖」と云われ、戦後の相撲界に「栃・若時代」を築いた、第44代横綱「栃錦」(とちにしき)の菩提寺でもあるそうです・・・


私にとって、こちらのお寺はとても懐かしい場所で・・・というのも、二十年以上も前・・・こちらのお寺の向かいには、私の母方の「祖父」と「祖母」が住んでいました・・・

もちろん、私が子供の頃にはよく訪れた場所で・・・この石柱の門の前でも、よく遊んだなぁ・・・松の木にも登った記憶が・・・なにぶん子供でしたので・・・すいません・・・

でも、この場所には・・・今の私に・・・記憶力が皆無の私の頭の中でさえ「トラウマ」になる程・・・それはそれは、身の毛もよだつ程・・・とても怖い思い出があり・・・



それが、この場所・・・萬福寺の門の前にある・・・小さなお地蔵さんが六尊並ぶ、この場所・・・その前には、大人の腰の高さほどの柵があります・・・

実は・・・真夜中・・・叱られてわんわん泣き叫ぶ、可愛い子供(?)の私を抱えて・・・何と、この柵の中に放り込むという「暴挙」を犯した輩がおり・・・つД`)・゚・。・゚゚・*:.。

今でこそ、跳び越える事は可能な高さですが、なにせ、小さな子供の私・・・細い柵はまるで監獄の太い檻・・・嗚呼・・・なんて可愛そうな私・・・||Φ|(|゚|д|゚|)|Φ||


大人になってから、微かな記憶を辿って、この話を親にしてみた所・・・どうやら、この惨い仕打ちを私に科したのは・・・今は亡き「ばあちゃん」・・・( ̄□ ̄;)ナント!! 

まぁ・・・子供の頃の私は、かなりの「やんちゃ坊主」だったそうですから・・・そのあまりの悪戯振りが、祖母にはどうしても許せなかったのでしょうね・・・


ばあちゃん、ゴメン・・・でも、今・・・もし祖母が生きていたら・・・「仕返ししてぇ」(笑)

だって・・・周囲は真っ暗で・・・後ろには「お地蔵さん」が六尊だよ・・・ろ・く・そ・ん!


こちらにお邪魔したのは、十年ぶり・・・いや、もっと前・・・今は私の腰の高さ程になった柵に手を置くと・・・その柔らかい曲線が、妙に懐かしく・・・温かく感じられる冬の日・・・


・・・にしても、私の横で・・・「お蔭様で、『夫』は良い子になりました・・・南無・・・」・・・と、お地蔵さんに向かって手を合わせていたカミさんの態度が、何だか釈然としないなぁ・・・


アンテナ?・・・それとも、宇宙人?



こちらは、万国郵便連合(UPU)加盟100年を記念して、逓信(ていしん)総合博物館前に、昭和52年(1977年)に設置された「郵便ポスト」です・・・

2月3日(水)までは、滝平二郎氏の遺作展が開催されているようです・・・左上の絵は、あの懐かしい絵本・・・「もちもちの木」の挿絵ですね・・・

子供の頃に怖かったものが、歳を重ねるにつれ次第に怖くなくなり・・・そして私達は「成長」し、段々と狭い「世界」を手に入れて・・・そうして「大人」になってゆくのでしょうか・・・

子供の頃、こんなポストを見かけたら・・・不思議でなかなか眠れなかっただろうな・・・

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